温故知新

凌泳会(神戸大学体育会水泳部OB/OG会)は2021年で創部100年を迎えました。
このページでは史実に残る神戸大学体育会水泳部の歴史を紐解きます。(随時更新)

1. 水泳部が生まれた頃

大正6年当時まだ水泳部という意識はなかった。
碁の好きな連中は囲碁部と言い、山の好きな奴は山岳部と称していたが、共に学友会で認められた部ではなかった。野球部、テニス部等は正部であった。(中略)当時試験は3月と9月の2回だったので、夏の間はのんびりやっていた。そのうち水泳の好きな連中が集まってきた。しかしこの頃の水泳は遠泳が主で、琵琶湖の横断をしたり、須磨から明石まで泳いだりした。(中略)ところがこの年、予科2部に入学した白山源三郎(大正10年)というのが極東オリンピックに入賞したという噂が伝わってきた。1部と2部はお互いに殆ど交流が無かったが、彼の泳ぎを見て競泳に対する興味が湧いてきた。しかし競泳の練習をやるには波の高い海は不向きなので学校の近くの「青谷の池」に練習の場を移し、次第に部らしいまとまりが出てきた。

凌泳70年史 p.21「水泳部が生まれた頃」より

青谷の池は三宮から阪急六甲駅へ至るバス道沿線、青谷橋停から谷川を渡り坂道を上った右手にあった。