Author: 呉竹正人

追悼 酒井孝栄先輩(1961年卒)

(井上隆史さんのコメントを、写真添付ご依頼あり代理投稿いたします。) 酒井孝栄(1961年卒)さんの訃報に接し心よりお悔やみ申し上げます。ご出身は雪国の福井県で粘り強い泳ぎで、自由形長距離、バタフライでご活躍され、62年卒の高岡、米田、浅間がフリーで伸びてくると、バタフライが対抗得点を取りやすいと、過酷な練習のバタフライに転向しました。59年3商大戦前の合宿中に肺炎になり、小平での試合に欠場せざるを得なくなりました。メドレーリレーのバタは野田さん(61年)が泳ぐことで競泳では何とか勝ったのですが、肝心のポロは負けて、悔し涙を流した報告しか出来ませんでした。三菱商事を勤め上げた後は、大阪へ帰り、鉄鋼加工会社の役員をされて、私が大阪単身赴任したときに、新地で良くごちそうして頂きました。思えば2019年の六甲荘での大阪市大100周年前夜祭でお目にかかったのが、最後でした。ゆっくりお休みください。 (井上隆史さん記) 凌泳会顧問 高岡保宏(1962年卒) 上田剛弘氏からの突然の電話で酒井孝栄先輩のご逝去を知りました。心からお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げます。  酒井孝栄先輩との出会いは姫路分校のプールの藤棚の下でした。私はずーと二人の男性が泳いでいるのを見ていました。一人がプールサイドで声をかけて、もう一人は水中で一生懸命泳いでいます。ターンの度に声をかけている様子から、どうやら泳いでいる人に距離を知らせているようでした。やがて二人とも練習が終わり、その中の一人が声をかけてきました。その人が酒井先輩でした。「君、水泳部に入るかい?ご覧の通り部員は我々二人だけだ。入ってくれると嬉しいんだけど」福井地方独特のイントネーションで、播州人の私には大変優しく聞こえました。その声の優しさに騙されて、即快諾してしまいました。  小さな頃から市川以外で泳いだことがなく、まして競泳がどのようなものかも知らないずぶの素人にとって練習は本当にきついものでした。酒井先輩は声とは裏腹に厳しく、対照的に野田先輩は優しく思えました。後で考えてみるに下級生の指導を二人で役割分担をしてバランス取りながらされていたようで、我々はまんまとその策に嵌った感がします。 川での水遊びの経験しかない私には競泳は大変興味がありました。水の中で速さを競う。しかも4泳法があり、リレーもある。 酒井先輩、野田先輩共に専門がフリーで、自分は自己流でクロールを泳ぎました。自分なりの楽な泳ぎをしていたので初めは彼らにはとてもついていけなくて離されっぱなしでした。しかし暫くすると不思議・なもので少しずつその離される距離が縮まってきました。やはり練習の成果だと思いますが、酒井先輩の親切な指導の結果だと思っています。 ターン、バタ足、手の掻き等それぞれの合理的な方法を教えてもらいました。ターンは本当にへたくそで手で側溝を持ち、体を引き寄せ、その時に休息をする、といった塩梅で、側溝のないプールではターンが出来ないという情けないありさまでした。 バタ足だけは何故か彼らに勝てたので、ビート板練習は楽しく思えました。酒井氏曰く「お前の足首の柔軟性がお前の強みだ。人と競った時には意識的に足を使え、すると楽になる。」「手の搔きは手をまえに大きく伸ばし、肘を曲げ腹の下を足のつけ根付近まで強く掻き、あとは水を後方へ押すように跳ね上げる。」と言った具合に微に入り細に入り指導を受けました。お陰でいつの間にか、あらゆる競技会で入賞するようになりました。 酒井先輩のきつかったけれど上手な指導があったからだと思います。姫路分校での苦しい練習を今では懐かしく思います。  どうか先輩やすらかにお休みください。合掌。

細田忠雄(1958年卒、6回生)先輩の訃報

細田忠雄先輩追悼文 令和6年12月16日 前田和秀 細田さんとは現役時代はほとんど接点がありませんでしたが私が糖尿病をきっかけで水泳を再開しマスターズに出場するようになって数年後からのお付き合いでした。細田さんのクロールはビートの効いたオーソドックスできれいなフォームで泳がれるのを拝見し現役時代はエースとしてご活躍されたのだなと感嘆した次第です。 思い出はレース後の打ち上げ飲み会です。相模原グリーンプールで泳いだあと上溝駅近くの焼き鳥屋など居酒屋で最初は生ビール、次に生ビールお代わり、その後焼酎ボトル1本。ボトルが空になりそろそろお開きにしましょうかというとき、細田さんはまだ飲み足らないという顔つきでこちらを見る、私も呑み助なので井上先輩にあと1本どうしましょうかと聞くと、仕方ないなということで1本追加。2本目を空にして帰りの電車の中、すっかり酔っぱらった細田さんが向かいの席の若い奥さんに抱かれた赤ちゃんを「かわいいね」と赤ちやんをあやし始めました。その後立ち上がり赤ちゃんに向かっていくので奥さんはびっくりし、恐ろしがる様子を見てこちらは細田さんを言葉で制止したのですがなおも「いいじゃないか」と赤ちゃんに近ずいていくので、これではまずいことになると皆で元の席に戻らせ奥さんに謝り事なきを得たことなどお酒に関して語りつくせないほどの思い出が浮かんできます。今頃はあの世で日々大好きなお酒を飲んで愉快に過ごされていることと思います。心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌       前田和秀

田渕五郎(1955年卒、3回生)先輩の訃報

令和6年12月3日井上 隆史 田渕五郎先輩(1955年卒、3回生)は、肺炎のため24.9.22に亡くなられました。7年後輩の背泳の選手として、田渕さんの記録を追いかけていた私は、深い悲しみと寂しい想いに包まれています。 1932年卒の小山賢之助(元日本水泳連盟会長代理)氏が開催に尽力した世界マスターズ水泳選手権の第2回大会をオーストリアのブリスベンで開催するので、凌泳会メンバーに参加要請がありました。田渕さんは奥方同伴で参加され、「大変良かったとので、次回は皆で行こうよ」と会合でよく話しておられました。 雪で千葉国際P.までたどり着けないリレーメンバーに代わって、田渕さんに出場お願いしたら、飛び込みはフリーで、途中でひっくり返って、バックで泳ぎ、次のメンバーに繋いだのには会場大歓声でした。 本人はお酒を全く受け付けないのですが、マスターズ試合後の打ち上げには必ずお付き合い頂き、「今日は焼酎ボトル2本半でした」の名台詞で締めました。近年では凌泳レディースも増えて、お酒の飲み方もスマートになりました。 添付の写真は神奈マスショートの相模原プール(16.3.13)で、淑女紳士と写している大会ですね。彼我の国で小山さん、山口宗樹さん達と凌泳会を作って、楽しく泳いで待っていてください。安らかにお休みください。合掌 令和6年12月3日井上 隆史